【No.7】
2004年8月1日
読む抗ガン剤 第113回 「似非治療を見抜け」に対する意見
はじめまして。
片田舎にて内科医をして11年になります。
偶然にも身内のがんと、がん患者さんの実診療上の経験を有する事となってしまいました。
この事によって得がたい経験と知識や考えを持つ事が出来ましたので皆さんのお役に立てればと思い考えを述べさせていただきたいと思います。
まず重要な事は、現在の医療(医学ではありません)に求められている事は何かということですが、その患者さんのためだけの医療を提供してもらいたいという点だと思います。
患者本位の医療といわれているものですね。どんな方でもそうでしょうが、御自分が進行がんなどの重病に罹られたときに医療者に対して最善を尽くして欲しいと願うはずです。この事は日本人の感性として非常に重要な点です。
しかし大変良い面と悪い面を持ち合わせている事に気がつかねばなりません。
良い面は今までのように医療者にお願いしてお任せしますというような事では最初から満足のいくような結果が得られる事は無い、ということを自らが表現しているのですから双方共に納得のいくように議論をし、自分で選択していけるという点です。
なぜなら、自分の大切なものを決めたり、大きな金額を使うようなときに誰かにお任せで納得できる人はまずいないと思うからです。
結婚相手を決めたり、何千万円もするような家を買ったり、または株式に何千万、何億と投資をするときに他の誰かに決めてもらって納得がいくでしょうか。上手くいったときには納得もするでしょうし、その誰かを感謝もするでしょう。
しかし、上手くいかなかったときにはどうでしょうか。
結婚相手として選ばれた人が自分には全然合わなかった、毎日喧嘩ばかりで結婚していなかったときのほうが幸せだった、信用していたのに浮気ばかりされて悔しい、内緒で遊びまくって借金をたくさん作ってきた等の事があったら、どうでしょうか。せっかく大金を出して買った家が欠陥住宅で住めないにもかかわらず、返済だけは毎月のお給料から引かれていったとしたら、どうでしょうか。株式は買ったものの暴落してしまって夜逃げをしなければならなくなってしまったとしたらどうでしょうか。なぜこんな事になったのか、納得がいかないと思います。それが取り返しのつくお金でもそうなのですから取り返しのつかない物だったらどうでしょうか。そうです。私も含めて皆さんがひとつしか持ち合わせていない「命」だったとしたら。
だからこそ、御自分や身内の方の治療には受身にならずに積極的に関与すべきだと思います。
それこそ何が一番重要で優先するべきなのか、例えば手術で失うものとそれを命との天秤にかけて納得がいくのか、抗癌剤治療の効果と不快な点を天秤にかけて納得のいく状態なのか、放射線治療もその効果と不快な点を天秤にかけて納得がいくのか、更に放射線治療は再度同じ部位にはかけられないという制約があり(かけすぎた部位が腐ってしまうため)それを納得できるかどうか、また「死」も必ず訪れる事も考えてどこまで頑張ってどこで看取りのためのケアに入るかということまでを含んだ治療の設計を組むべきでしょう。
さて悪い面は何でしょうか。
実は上に書いたように議論や細部を詰めていく作業には非常に時間と手間そして能力や情熱が要求されます。しかし現在の一般的に医療を受けるときに使われる健康保険ではそのような手間や時間や能力や情熱に対してのお金を認めていません。一定の金額を保険で決めてあり、それがどんなに手間がかかろうが時間がかかろうが変わりません。
そのためある一定の標準的と言われる治療をベルトコンベアーよろしく量産する医者が病院を支えるためにはどうしても必要なのです。
もしも個々の人に対してきめ細かい治療をするとすると、一日で診られる患者さんは非常に限られたものとなってしまいます。
更に、手術や抗癌剤治療で手の込んだ事をしようとすると、そのための機材は病院の持ち出しです。例えば胃癌や大腸癌の手術で使われる自動吻合器といわれるホチキスの親玉のようなものは使える数が少なく決まっていて、患者さんの為にと思ってちょっとでも多く使うとその分は病院が持ち出さないといけません。患者さんが厚意でその分は出してあげるといってお金を補填してしまうと病院が混合診療という罪に問われ罰せられてしまうのです。
つまり患者さんの為にと思ってやればやるだけ病院は赤字になってしまいます。
しかし、外科医や放射線治療医や、ほとんど日本にいない臨床腫瘍内科医は宮大工と同じ達人としての職人ですから、職人としての心意気から採算度外視でそのような事をしてしまう事もあります。
当然混合診療に当たらないように赤字覚悟の治療です。
そのような場合は患者さんは非常に幸運ですが、病院経営者から見ると非常に困った状態です。
「赤字を垂れ流す(!)不良医者がうちにいる」
という評価を上から受けてまでも、手間のかかる精神力を要する治療をするお医者さんがわずかしかいないのは当然ともいえます。
またある医者が、それでもそのような診療を続けたとします。会社に例えると、「ただ」で自社製品を不特定多数の人にあげてしまう困った社員を雇っているのと同じですから、そのような社員は会社の為になりませんから「クビ」にしないと会社が倒産してしまいます。
今までは国公立病院で国民や住民のためのサービスとして、そのような治療を行うお医者さんもいらっしゃられましたが、昨今の国公立病院の赤字への風当たりの強さからその国公立病院ですら、赤字を減らすために内部での風当たりが強くなっていることは容易に想像できます。
このような状況を打開して皆さんが必要とするような、親身になって考えてくれ最善と思われる治療法(これは家を建てるのと同じで、何が一番大事なのかは人によって違いますから、今までのように寝たきりだろうが意識が無かろうが、延命さえ出来ればよいとする考えとは一線を画します。)を議論して選択し一緒に悩み苦しんでくれる医者が、一人でも多く活動できるようにするには、そのような治療に対して正当な対価を払う必要があると思います。
別に付け届けをしなさいと言っているのではなく、病院が「この医者を雇っていても良く働いているな」と評価できるだけの保険点数をつけてもらうように厚生労働省に働きかけるだけでよいのです。
もともと医者になろうとする人たちはC医師のように親身に治療をしようとする人が少なくはありません。しかし現行の保険体制の中ではそのようにきめ細かな、手間や時間や精神力を要求する治療は、やっている医師本人が疲弊して潰えていくことが多いのです。
本来ならC医師の疲れてしまった心を癒すだけの時間を与えられる診療体制、つまり休ませてあげられるだけの余裕が欲しいところです。しかし、日本中さがしてもそのような恵まれた病院はほんの一握りでしょう。
誰しもがスーパーマンではありません。
普通のあなたの隣に住んでいる人が医者として治療をしているのです。
評価も感謝もされずにもくもくと信念の為に治療を行うことは人間である限り難しいのです。
もしもあなたの主治医が疲れていたら、あなたの家族だったらと思って声をかけてあげてください。
人間対人間の関係です。
あなたが疲れていたらつっけんどんな態度になったりしませんか。
相手の医者も人間で、同じです。
相互に思いやれるような望まれる医療が来るのは結構簡単な事からかもしれませんよ。
さて、医療を提供する側と提供される側の双方に立てたため現在の医療の持つ問題点は保険診療のシステムの問題である事が非常にはっきりとしました。逆に、システム上の問題なら皆さんの働きかけで簡単に変えることが出来ます。その保険を利用している、「あなた」たちの声を一つに集めて厚生労働省に「変えてください」とお願いすれば良いだけなのですから。
もう一点は、医療はどこまで行っても人対人です。
相手にけんか腰でこられれば身構えますよね。
逆に真剣に礼儀を尽くして難題を実現可能にしていくにはどうしたらよいかを相談されれば、何とかしてあげたくなるのも人情です。
人間対人間の関係を上手く出来る人でないと双方共に損をしてしまうのではないでしょうか。
相性の合わない人もいるでしょう。どんなに名医といわれる人でも世の中の人全員に対して相性がいいことはありません。相性は神様が決めたものですから、合わないときには別なお医者さんを探す事が非常に幸せにつながると思います。
まずは人間対人間として、皆さんもお医者さんと常識をもって接し、礼儀をわきまえ自分が死ぬときに看取られたいと思える相性の良いお医者さんとめぐり合う努力を惜しまない事が重要でしょう。
皆さんの今後の幸せを願ってやみません。
このページは、週刊現代 読む抗ガン剤 第112回 『吐かない弱音、吐く弱音』の中に出てくる「C医師」に対する意見を掲載しております。(選考は平岩先生が担当しております。)