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治療内容と経過 |
ペンネーム | もつ煮(ブログサイトの発起人です。) | |
生年月日 | 昭和42年2月(現在38才) | |
住 所 | 埼玉県(住宅ローン32年あり) | |
家 族 | 妻 35才 | |
長男 7才(小学校2年生) | ||
長女 5才(年中) | ||
職 業 | 福祉施設勤務(現在病欠中) | |
病 名 | すい臓がん | |
部 位 | すい尾部 | |
おかしいなと思った日 | 平成15年12月 | |
癌とわかった日 | 平成16年9月10日 | |
愛車 |
平成15年12月
以前より時折胃の辺りに鈍痛があり、家族に促され念のため近所の病院に通院する。検便を実施するが鮮血反応はなく胃がんや大腸癌ではないと言われ一安心。その時は
「仕事のストレスが溜まっているのでしょう」
とのことで、胃薬と安定剤を処方され様子を見るようにとの話がある。
仕事が忙しかったせいもあり、そんなものかと思いまったく疑わず、処方されて薬を飲みのんきに暮らしていた。その時は、すい臓癌だなんてまったく思わなかったし、そんな病気があることすら知らなかった。
その後も不規則な生活(施設勤務なので仕方がない)、タバコとお酒だらけの生活を続けていた。その後も時折、みぞおち付近が痛くなることがあったが、それ以外はまったく自覚症状はなかった。
しかし、徐々に便が黒く細くなっていたことと、時折の鈍痛が無くならないため、再度通院することとした。
平成16年7月
再度近所の病院に通院すると
「胃カメラと大腸ファイバーをしましょう」
といわれた。
大腸ファイバーを実施したところ、腸の中は非常にきれいだが、便に血が付着している、たぶん胃から出血しているのではないかと言われる。その後すぐ胃カメラを飲む、同じ日に大腸ファイバーと胃カメラのダブルヘッターはなかなかないだろうと思いながらも胃カメラを飲む。
胃カメラでみたところ、胃壁が爛れており出血しているとのこと。
「潰瘍が出来ているわけでもなく、なぜ胃壁が爛れているのかわからない、一ヶ月程度様子を見ましょう」
とのこと。
本人は医師の指示なのでのんきにかまえていたところ、家族より精密検査をした方が良いと強く言われ不本意ではあったが、某国立病院に通院することとした。
7月後半に胃カメラの映像を持って国立病院に通院をしたが、原因がわからないので入院して調べましょうということになる。
気軽な気持ちで通院したその日に緊急入院になる。胃から出血していると言われてその日より絶食になる。生まれて初めて5日間も絶食をした。再度胃カメラを飲んだりと検査の日々が始まった。
一から同じ検査をするのかと不満に思いながらも仕方がないので検査を受ける。いろいろと検査をして見るが、原因がはっきりしないとのこと。
退院も近づいてきたので、先生に
「この際だから良く調べてください、最後に入院の記念にCTでも撮ってください」
と軽い気持ちでお願いしてみる。
こんな結果になるとは誰が予想しただろうか。CTの結果が出た時、なんとなく先生の態度がよそよそしい感じがした。いつもならすぐ説明してくれるのに、検査の結果を聞いても後で説明しますと言い、すぐには教えてくれなかった。
その後、先生の部屋に呼ばれCTの結果について話がある。すい臓がんの疑いがあるとのこと、はっきりしたことは詳しく検査をしてみないとわからないが、検査をする施設がないことと検査の結果、手術になった場合難しい手術なのでこの病院では対応出来ないので、某大学病院で検査と診断を受けるように話がある。
癌の疑いがあると言われ落ち込んだが、その時は良性か悪性かもわからないし、治らないこともないと気軽に考えていた。
某大学病院に通院したところ、
「すい臓がんの可能性が高いです。手術出来るか調べて見ましょう」
とのこと。
しかし、病院が一杯なので病院に空きが出たら連絡しますと言われる。どの位かかるのか尋ねたところ、一ヶ月ぐらいでしょうとのこと。
癌なのに一ヶ月もなにもしないで大丈夫なのか、かなり不安になるが仕方がないので待つこととする。入院待機中にいろいろと癌について調べることが出来たので、今考えるとこの待機期間があった為、冷静に考えることが出来て良かったのだと思う。
癌という病気は不思議でこの時期になっても体調の変化はまったく見られなかった。その為、自分が癌だという認識が薄く、ましてや死ぬ可能性が高いなんてことはまったく想像出来なかった。
9月2日に病院より、ベットが空いたので明日より入院してくださいとの連絡が入る。
いくら混んでいるからといっても前日の電話では心の準備が出来ない等、物々言いながらも入院。その後も胃カメラ等、今まで何回もしてきた同じ検査を再々度行なう。
今までの検査の結果を使えないのかな、お金もかかるし体も大変だし、もっと合理化出来ないのか考えてしまう。その後、おなかを空け腹膜に癌細胞がないか調べる手術を行なうとのこと。
9月10日運命の日がやってきた。
家族とともに主治医に呼ばれた、腹膜に癌細胞が散らばっており、手術での切除は不可能とのこと。何もしなければ3ヶ月。抗がん剤治療をして薬が効いたとして1年。すい臓がんの治療薬はジェムザールという薬しかなく、その薬が効かなかったら3ヶ月の命と宣告される。
仕方がないのかもしれないが、主治医の言葉は柔らかく丁寧ではあったが、優しさが感じられず事務的に淡々と話をされていた。
主治医の説明の後、抗がん剤はこの病院でしてくれるのか訪ねたところ、混んでいるので、以前いた国立病院に戻って抗がん剤治療をしてくださいとのこと。余命を宣告しておいて放り出される感じがした。
「余命を宣告するのであれば最後まで面倒を見てくれよ」
という気持になる。
後で知ったが、抗がん剤治療はお金にならず手術のアフターケアの一環で行なわれている為、病院はやりたがらない等、これから日本の癌医療の不思議や理不尽に巻き込まれていくことになるのである。
初期の手術の出来る患者にとっては良い治療が受けられるが、手術の出来ない進行癌の患者はよほど運が良くなければ世界標準の治療も受けることが出来ず、病院から見捨てられ癌難民になっていくのだ。
たとえ癌になっても日本にいる以上は最高の治療が受けられると思っていたのに、まったくの思い違いであったことを痛感させられることとなる。
癌と宣告された翌日、何もせずにはいられずダメもとでH先生の癌の相談室に一方的に押しかける。予約もせず一方的に押しかけた私たち夫婦に対し、相談を受けてくれることとなる。
その後、熱意だけを評価してもらいH先生との治療が始まっていくのである。
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