回答者の先生の紹介(あいうえお順)
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−☆−☆−☆− 先生方の詳細情報 −☆−☆−☆−
呉屋 朝幸(杏林大学医学部第2外科教授)
1949年生 宮崎県出身 1974年鹿児島大学医学部卒業。東京大学医科学研究所(1974〜1976)・三井記念病院(1976〜1985)・国立がんセンター中央病院呼吸器外科医長(1986〜1993)を経て、1993年より杏林大学医学部第2外科教授を勤める。
現在は肺癌の外科治療を主領域として、広く腫瘍学全般・癌化学療法の臨床と研究にあたっている。呼吸器領域の診断学の分野にも強く、初期診断、治療、フォローアップと全般に知識と経験にもとづいた診療を実践している。また、この分野の教育指導にも力を入れている。
著書「がん患者のクリティカルケア」(中外医学社)、「21世紀への対がん戦略」(東京顕微鏡院)「癌の外科-手術手技シリーズ」(メジカルビュー社)「肺外科の要点と盲点」(文光堂)「臨床呼吸器外科」(医学書院)
【 只今、Web相談の回答をお休みさせて頂いております。】
【平岩医師からのご紹介】
日本を代表する胸部外科医(肺癌・食道癌)です。特に肺癌については、幅広い御質問に答えていただけると思います。
外科医の理想的な手といえば細く長い指ですが、呉屋教授は大きな手がしなやかに器用に優しく素早く動く、天才的な外科医です。外科医の技量は外科医にしか判断できません。呉屋教授とも、今までに何度も手術を共にさせてもらう機会がありましたが、私が患者として肺癌の手術を受けることになれば、ためらうことなく呉屋教授に執刀をお願いするつもりです。早くから医局内に腫瘍内科医のスペシャリストもそろえ、総合的に癌治療を行う体制を整えた先見性は高く評価されます。
呉屋教授(あるいは杏林大学第二外科)の外来を受診する御希望も含めて、御質問されて良いと思います。
志田 晴彦
(医療法人 埼玉巨樹の会 新久喜総合病院 がん診療部長・外科・総院長)
東京都出身。1977年東京大学医学部卒業。三井記念病院外科レジデント(1977〜1982)・東京厚生年金病院外科(1982〜1988)・国立がんセンター大腸外科研修医(1988〜1989)を経て独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)東京新宿メディカルセンター(旧称・東京厚生年金病院)副院長、埼玉石心会病院病院長 を経て現在に至る。
消化器外科とくに大腸癌・胃癌・転移性肝癌などの外科治療を中心に診療を行っています。
私の勤務先は都内の一般病院ですが、がんの診断・手術・化学療法・治療の継続性・看護部門など総合力では大学病院やがん専門病院にも負けないと思っています。患者さんがトップレベルの専門病院に集まるのも大切なことですが、そこで治療を受けられる患者さんの数にも限りがありますし、遠方からの入院、通院は大きな負担が生じます。それぞれの地域の市中病院がレベルをあげて地元の患者さんが最善の治療を受けることのできる基盤作りが日本全体のがん治療の成績をあげる一番の道だと思います。
形は違いますが、この相談室は患者さんの本拠地がどこであっても最善の治療を探ることができる、という目的は同じと思い参加させていただきました。
【平岩医師からのご紹介】
過激な私と、温厚で謙虚な志田先生。患者さんには優しい志田先生ですが、癌治療には曖昧な考えを一切許さない外科医です。二人が会えば、癌治療の話が時間の限り続きます。
私が外科医になったばかりの頃、厳しい指導を受けたのが志田先生です。華麗で確実な腕をもつ志田先生に最初の指導を受けたことは、私の幸運でした。
かつて東大第一外科から、その優秀さゆえに招聘を受けた経緯があります。医学界の「官尊民卑」を排す、異例の要請でした。それでも志田先生は一貫して、臨床の現場で外科医を続けておられます。
私が患者として胃癌や大腸癌の手術を受けるなら、間違いなく志田先生に執刀をお願いします。
志田先生の外来を受診する御希望も含めて、御質問されて良いと思います。
高山 忠利(日本大学医学部第3外科学・教授)
1955年 東京都生まれ。1980年日本大学医学部卒業。1984年日本大学大学院医学研究科外科学修了。その後、国立がんセンター中央病院外科・医長(1987〜1995年)東京大学医学部肝胆膵移植外科学・助教授(1995〜2001年)を経て、現在は日本大学医学部第3外科学・教授を務める。
消化器外科とくに肝胆膵領域の悪性腫瘍に対する外科治療を専門としている。肝臓の尾状葉単独全切除に世界で初めて成功し、この手術は「高山術式」として知られている。さらに、生体肝移植に関しても、数多くの手術実績をもつ。患者利益の追求を最優先に、日々の診療にあたっている。
著書に、「新外科学体系」(中山書店)、「癌の外科手術手技シリーズ」(メジカルビュー社)、「肝臓外科の要点と盲点」(文光堂)などがある。
【平岩医師からのご紹介】
日本を代表する肝胆膵(肝臓、胆道、膵臓)の外科医です。肝臓癌については、原発性肝臓癌、転移性肝臓癌を問わず御質問をされると良いと思います。
私が患者として肝胆膵の手術を受けることになれば、ためらうことなく高山教授に執刀をお願いするつもりです。その他、肝臓移植も多く手がけています。肝硬変の方の御質問も的確にお答えしてもらえると思います。
また、臨床での養子免疫療法(活性化Tリンパ球療法、LAK療法)を開発した人であり、その治療成績は医学誌『ランセット』にも発表されています。
癌の免疫療法の御質問にも充分にお答えできる人です。高山教授(あるいは日本大学第三外科)の外来を受診する御希望も含めて、御質問されて良いと思います。
中川 恵一(東大病院放射線科準教授、 緩和ケア診療部部長(兼務))
東大病院放射線科準教授、 緩和ケア診療部部長(兼務)
がんの高精度放射線治療が専門。英文論文などによる学術発表の他、患者/一般向けの啓蒙活動にも力を入れている。
著作には、「放射線をかけると言われたら」、「緩和医療のすすめ」、「放射線治療とEBM」(近著)など。最近はテレビなどによる啓蒙活動にも熱心。「ひとにやさしい放射線治療」がモットー。
【平岩医師からのご紹介】
東大の放射線科の中で、放射線治療の責任者を務めているのが中川助教授です。
思えば10年前、私が静岡の病院に外科部長として赴任した時は術中電子線照射の稼動が始まる時期でした。当時、地元の人たちは放射線治療がどのようなものかはおろか、自分たちが進行癌であることさえまったく知らされていない状況でした。
そのとき、大学から放射線治療の応援に来てくれたのが中川先生です。進行癌の治療が日本で認知されていない時代から、ともに苦労した間柄です。
今、日本には700余りの放射線治療施設があります。でも放射線治療医は全国に300人もいません。医者の数が治療施設よりも少ない国は、先進国でも途上国でも世界に例がありません。
そんな中で中川先生は日本を代表する放射線治療医です。中川先生の外来を受診する御希望も含めて、相談されて良いと思います。
平岩 正樹 がんのWeb相談室主催
1977年、東京大学物理工学科卒業後、 東京大学理学V類に再入学し、84年に同医学部を卒業。その後、東大病院第一外科、国立がんセンター 等を経て、94年より共立蒲原総合病院外科主任医長、96年1月より外科科長になり、同10月に「がん治療部」を創設し、同年12月まで同部の部長を務める。
現在は東京都内の病院で癌の治療にあたる。癌100%告知を含む診療の完全情報公開を開始したり、外部の患者に対しても 「がんの相談室」を開設するなど常に患者本位の、そして最先端の医療に 挑戦し、マスコミからも大きな注目を集めている
著書に「がんで死ぬのはもったいない」(講談社現代新書)、「がん−医者ができること 患者にしかできないこと」(海竜社)などがある。
光畑 直喜(明神館クリニック)
岡山県出身。1974年岡山大学医学部卒業。卒後1年を見習船医として働き、岡山大学泌尿器科に入局。広島市民病院(1976〜1978)、岡山大学(1979〜1982)、呉共済病院泌尿器科を経て現在に至る。
1983年から転移性脳腫瘍、肺癌、消化器癌、転移性肝癌、骨盤内癌(膀胱、前立腺、婦人科癌)への動注癌化学療法を他施設も含め1000例近く経験。
高齢化が進み、進行前立腺癌、尿路癌も増加の一途をたどっておりますが、従来の化学療法抵抗患者さんにジェムザール,タキサン系の動注も実施。動注に際し各種の効果増強手段を工夫しています。
また1986年より腎臓移植を開始、最近ではABO血液型不適合移植も積極的に取り組んでおり腎癌の関連医療としても役立っております。
今まで臨床で培ってきました雑学が少しでも全国の患者さんにお役に立てるようであればと思い平岩先生に賛同し参加させていただきました。よろしくお願いします。(泌尿器科癌)
【 只今、Web相談の回答をお休みさせて頂いております。】
【平岩医師からのご紹介】
すべては、相談の形をとった光畑先生からの「お便り」ID-1731から始まりました。
熱い文面に、私は思わず見ず知らずの人に「この相談室に回答者として加わっていただけないか」と依頼してしまいました。直後に快諾のお便りをいただき、こうして本当に回答者に加わっていただいた次第です。
私は「ないよりはマシ」と僭越にも泌尿器科領域の御相談にもお答えしてきましたが、これからは、腎癌、腎盂癌、尿管癌、膀胱癌、尿道癌、前立腺癌、陰茎癌、精巣癌等につきまして、光畑先生に御質問されると良いと思います。光畑部長の外来を受診する御相談も可能かもしれません。
-*-*-*- お知らせ -*-*-*-
宇和島での生体腎移植に関する報道が行われています。
当相談室の回答者の一人であります光畑直樹医師が、これに関わっているとの報道もなされています。光畑先生の方から、当相談室に関して「しばらくお休みをいただきたい」との連絡がありました。3年間も休みなく回答を続けていただき、ここで少し休息していただくことは良い機会かもしれません。
マスコミの、光畑先生に関します部分の報道が落ち着けば、また元のように復帰していただけるのではないかと思いますし、この件に関する光畑先生の御見解も説明があるのではないかと思います。
2006/11/08
平岩当方の不手際から、皆様への上記のお知らせが遅れましたことをお詫びします。
ID:8526(2006/11/12の相談) 光畑 直喜先生の回答より抜粋
最近報道されています如く、病的腎臓を含む腎臓移植に携わった一人の医師として、現時点では皆様からのご相談にお答えする立場ではないと自ら判断し、今後の回答につきましては、辞退させて頂きたいと考えております。いずれ平岩先生からの癌の相談室からのannounceがあると思います。11月8日の時点で、私の態度は表明していましたが、今回は、それ以降の相談内容でしたが、過去の相談の続きという事から回答させて頂きました。
癌難民と移植難民の方を同じ目線で考えて、1人でも多くの方の期待にお応え出来ればと、私なりにこれまで一生懸命やってきたつもりですが、精神的にも体力的にも少し疲れて参りましたので、ここで一度退く決意を致しました。
何れの医療も何がBestかは分かりませんが、よりBetterを目指してきたと今でも思っています。ご理解の程を宜しくお願い致します。
山本 孝史(民主党参議院議員)
民主党参議院議員 大阪府選挙区選出
衆院2期、在籍7年の間、衆議院厚生委員会理事(初当選より7年間)、大蔵委員、災害対策特別委員、交通安全対策特別委員等を歴任。
■ 民主党厚生部会長、民主党政策調査会副会長等を務めた。特に、年金、臓器移植、薬害エイズ、介護保険、公務員倫理、NPO法案等では国会論戦をリードした。1996年の再選後に、14本の議員立法を提出。(全衆議院中で第7位=朝日新聞調べ)
■ 2001年7月に参議院議員となってからは、次の内閣の厚生労働大臣や民主党参院幹事長などの要職を務める傍ら、民主党の年金改革プロジェクトチームの座長として、民主党の年金法案の作成に尽力。
<< 家 族・趣 味 >>
◇ 家族 現在、大阪市天王寺区にて妻と二人暮し
◇ 趣味 テニス、ガーデニング
◇ 座右の銘 「我一粒の麦とならん」
【平岩医師からのご紹介】
もし日本のがん医療が「理想」であるなら、政治家の出番はいりません。「今のまま」が続けば良いだけです。でも「小泉内閣が5年間に行った医療改革は、医療費削減だけ」(厚労省某官僚の言葉)は、私もその通りだと思います。
がん難民の実態は改善されていません。立法の立場におられる山本議員に、医学以外の問題に関して選挙区以外の方も是非、御相談されると良いと思います。
2007-12-22 23:50 胸腺がんのため、お亡くなりになられました。(58歳)
ご冥福をお祈りいたします。
吉見 富洋(茨城県立中央病院医務局次長)
1954年生 鹿児島県出身 1979年東京大学医学部卒業。東京大学第一外科(1979‐1980、1983、1984−1987、1988−1989)・茨城県立中央病院外科(1980-1983、1983−1984)・東京都老人医療センター外科(1987−1988)・米国ピッツバーグ大学外科(1989−1991)・東京大学医科学研究所人工臓器移植科(1991−1992)などを経て1992より茨城県立中央病院外科に勤務。
肝胆膵を中心とする消化器外科領域の一見切除困難と思われる高度進行癌や再発癌に、ピッツバーグ大学での肝臓移植チームの一員として学んだ血管外科・移植外科の技術を応用して外科治療の可能性を追及しています。
その他大腸癌の骨盤内臓全摘術後の早期回復を目的に骨盤底薄筋弁修復術また、食道癌の術後早期回復にはスーパーチャージ血行再建術を取り入れています。
【平岩医師からのご紹介】
このサイト内の「読む抗癌剤」の、第2話、72話、73話、95話に登場した吉見先生が、回答者として加わることになりました。お待たせしました。
初めて明かすことですが、『手術室の独り言』(日本文芸社、拙著)の「空白の31年間」(187頁)に書いた、幻の売名的日本初の脳死肝移植に対し、身を挺して反対したY医師こそ吉見先生です。
吉見先生の外来を直接に受診する御相談も含めて、御相談されて良いと思います。
吉見先生を巡る’04年の署名活動では、皆様に多大な御協力をいただきました。私もこの場を借りまして、御礼申し上げます。
特に署名をいただいた方は、詳しい経緯や今の様子を吉見先生に聞かれても良いと思います。「過去の相談と回答」に吉見先生が公開するかどうかはともかく、回答はあると思います。
吉本 賢隆 (国際医療福祉大学附属三田病院乳腺センター長)
1948年生 広島県出身 1974年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院(1974〜1983)・埼玉県立がんセンター(1977〜1978)・癌研究会附属病院(1984〜2005)を経て、2005年3月より国際医療福祉大学附属三田病院勤務。
一貫して癌外科医の道を歩む。乳癌を主領域として、広く腫瘍学全般・癌化学療法の臨床と研究にあたる。
国際医療福祉大学教授、同乳腺センター センター長を勤める。
東京大学医学部/東京大学医科学研究所非常勤講師。日本外科学会専門医、日本乳癌学会乳腺専門医(元日本乳癌学会総務理事)。
急増する乳癌に対して、治療成績の向上を第一に考え、同時にQOL(生活の質)を高めた治療法の開発に取り組んでいる。
また、これからは患者さんの体質と個々の癌の性質に合わせたオーダーメイド医療の時代になるとの確信のもと、癌遺伝子発現に基づいたオーダーメイド治療の研究と普及に情熱を傾けている。
乳癌治療は急速に進歩している一方で、偏見や誤解に基づいた考えや治療法が横行していることに危惧している。とくに、誤った「乳癌全身病説」に基づいて局所治療をないがしろにする現在の風潮に警鐘を鳴らし続ける。(乳腺外科医)
平成17年3月、港区三田に長年心に温めてきた理想の乳腺センターを設立しました。乳癌と診断された患者さん、再発乳癌の治療を希望する患者さんは何時でもご来院ください。
平成24年2月、よしもとブレストクリニック を開院して乳がんから女性を守り、家庭や社会で健やかに生きるための支援を行い、地域社会の福祉に貢献しています。
【平岩医師からのご紹介】
「癌研といえば乳癌、乳癌といえば癌研」といっても良いくらい、日本だけでなく世界的にもたくさんの乳癌の手術を行っている癌研附属病院で、長年、乳癌の治療を担当してこられた外科医です。
日本を代表する乳腺外科医と言っても過言ではありません。
常時100人程度の患者が手術待ちの状況の中で、この相談室に加わっていただくことを私が無理にお願いした次第です('05年3月1日、癌研から国際医療福祉大学附属三田病院へ移籍)。
受診希望の方は予約を取って(Tel:03−3451−8121)、御来院ください。セカンド・オピニオンのみの方は、外来が混雑しますのでメールでお願いします。
乳癌は最初に自分が気づく場合の多い癌で、それだけに患者の治療に対する意識も非常に高いと言えます。この相談室では、乳癌、特に手術前の相談をされると良いと思います。
Dr.Z
DrZ、内科医、専門は膠原病と血液のがん、1975年、東北大学医学部卒業。1984年まで東北大学第二内科で臨床免
疫・血液がんを研修する。
現在東北の某総合病院にて、膠原病・血液疾患を主とした内科診療に当たっている。
【平岩医師からのご紹介】
Dr.Zは私の患者を希望した方で、私が「血液のがんについてWeb相談室で回答いただけるのなら」と条件をつけた方です。今年初めから始まった抗癌剤治療も順調なので、このたび、患者として、同時にもちろん血液のがんの専門家として、回答者に加わっていただくことになりました。
私の患者さんには某かの貢献をしていただくのですが、Dr.Zの貢献が「Web相談での回答」として、今まで答える医者がいなかった血液の分野のがんについて、これからは充分な回答が提供できるのではないかと大いに期待しています。
2006年2月 永眠されました。ご冥福をお祈り申し上げます。