拡張版 第2話 【肝細胞癌の治療法】
上野から特急フレッシュひたちに乗る。64分で着いたところは、余計なものが何もない田舎の駅だ。駅前でタクシーをひろい、数分もすれば街外れになる。広い敷地の中の大きな建物が目に入ってくる。茨城県立中央病院だ。
大阪在住の三浦捷一さん(63歳)が、この病院を訪ねたのは2001年末のことである。昨年、三浦さんは国会や政府を動かす活動を続けてきた。しかし火急の問題は、再発した自分の肝臓癌(肝細胞癌)をどうするかである。そのために、わざわざ大阪から茨城にやってきた。
2000年1月、肝臓癌になった三浦さんは大阪で肝切除術を受けた。肝臓内に再発すると、今度はラジオ波で癌を焼灼した。それなのに昨年秋、再々発した。今度は肝臓の外のリンパ節だ。
再発の場所がややこしい。傷つけたくない臓器ばかりに取り囲まれている。主治医はもう手術できないと言う。肝臓の下で大静脈と腎臓の前、膵臓・十二指腸・胆管の後ろに癌は密着して、4cmと大きい。実は、三浦さんは大阪大出身の内科医である。人脈を使って外科医を探し回ったのに、答えは同じだった。
外科医が手術できないと言う時、可能性は三つある。
@その外科医にはできない。
A世界の誰も手術できない。
B手術をする意味がない。
@はともかく、本当に世界の誰も手術できないのか、それとも手術に意味はないのか、三浦さんは絶望した。
肝臓癌がリンパ節に転移することは珍しい。それでも、世界有数の手術件数を誇る国立がんセンター肝臓外科のデータに依れば、リンパ節転移は決して「もうダメ」の印ではない。
三浦さんが茨城までやってきたのは、「諦めの悪い外科医」吉見富洋氏がいることを知ったからである。
ネバー・ネバー・ギブアップ
先日の国会で、自民党の山崎拓氏はチャーチルの「ネバー・ネバー・ギブアップ」という言葉を引用した。吉見氏は知る人ぞ知る「ネバー・ネバー・ギブアップの外科医」なのだ。
ネバー・ギブアップと言うのは易しいが、外科も結果がすべてである。患者が死ねば蛮勇でしかない。三浦さんの癌をとろうとすれば、膵臓までとることになるかもしれない。小さな手術では済まない。しかし吉見氏は他の外科医が諦めた厳しいケースを手術するのに、同病院に赴任以来10年間、膵臓の手術でも手術死は3%以下に抑えている。
肝臓癌の人の多くは、肝硬変をかかえている。逆に、正常な肝臓の人は肝臓癌を心配する必要がない。
三浦さんの問題は三つあった。
@肝硬変で低下した肝機能は、手術に耐えられるのか。
A肝臓癌の転移を切除することに、意味はあるのか。
B再発でなく、肝臓に新たな癌の「芽」もできていた。肝硬変は癌になりやすいので、肝臓癌の治療は根気のいる「もぐら叩き」だ。
それでも、吉見氏は手術を決断した。自分を探し出した患者の迫力には負けられない。三浦さんは手術が成功する前から喜んだ。遠く茨城まで来た甲斐があった。
話を聞いた私も、吉見氏の判断に賛成した。理由は三つある。
@ CTに写った再発リンパ節は大きいが、「顔つき」が良い。とれる可能性は高い。顔つきは外科医の印象なので、その説明はできない。
A 肝臓癌は膵臓癌などに比べ、性質がおとなしい。今回の転移で終わりになることを願うが、将来別な転移が出てきてもその治療は楽になる。
B 肝内にできた新たな「芽」は、後述のように多くの治療法がある。このまま転移を放置すれば、残された次の手は少ない。
1月15日、三浦さんの手術が行なわれた。懸念された周囲臓器の合併切除もなく、4時間の手術で無事4cmの癌と周辺リンパ節が郭清された。諦めの悪い外科医が、諦めの悪い患者の癌をとった。
ガンの「本籍」と「現住所」
肝臓癌でわかりにくいのは、2種類の癌があることだ。「本籍」も「現住所」も肝臓の癌と、「本籍」は他にあってそこから転移して「現住所」が肝臓癌という二つである。この二つは、性質も治療法もまったく異なる。
本籍も現住所も肝臓、という本来の肝臓癌(肝細胞癌)の治療法はたくさんある。
A) 切除。第一選択の治療法。肝機能が落ちている場合は、切りとる肝臓を小さくしたい。しかし、小さくとる手術は難しいのである。リンゴの芯をとる時、大きく半分に切って芯をとることは簡単だ。でもリンゴを割らずに、くり抜いて芯をとることは難しい。肝機能と許容肝切除量には、およその関係がある。
B) 移植。癌を含めて肝硬変の肝臓をそっくり取り替える。新たな肝臓癌もできにくい。日本では、脳死臓器移植より生体肝移植が行なわれる。
C) アルコール注入。飲酒は肝臓に悪いのに、肝臓癌には効く。ただしアルコールを飲んでもだめで、酒飲みの口実にはならない。外から針で癌に注射する。かつては手術に勝るとも噂されたが、治療成績は手術に劣る。手術できないケースが対象になる。
D) 三浦さんも受けたラジオ波焼灼は、C) にとって替わろうとしている。針を刺して癌だけを焼く。手術が出来ないケースで、小さな癌に有効。
E) 放射線。大きな癌にも有効。肝機能が放射線に耐えられかの評価が大切になる。第三の放射線・陽子線が注目されている。
F) 肝動脈塞栓(そくせん)術。肝臓癌は動脈だけから栄養を受けているが、正常組織は動脈と門脈の両方から栄養を受けている。この差を利用する。癌を養っている動脈を閉塞させる。
G) 抗癌剤。10年前に「夢の抗癌剤」と世間を騒がしたインターフェロンは、夢で終わった。ただ、肝臓癌や腎癌では効果のあることが海外や日本の研究で報告されている。
H) 免疫療法。日大外科の高山忠利教授は、手術後に特殊な処理をしたリンパ球の投与が再発予防に有効と医学誌ランセットにも報告している。
これほど治療法が多い癌も珍しい。肝機能と癌の状態で絞り込むことになる。三浦さんのような難しい癌は、その都度考えていくしかない。
肝不全が心配された三浦さんだが、無事2月11日に退院した。入院期間が長かったのは、自宅が遠方だったからに過ぎない。
仕事に復帰する三浦さんがこれから取り組むのは、自分に残された肝臓癌の芽の治療だけではない。肝臓癌の予防薬「非環式レチノイド」の早期承認を訴えているのも三浦さんなのだ。
日本は何でも安全第一で、抗癌剤の承認が遅い。毎年約30万人が癌で死亡していることに指をくわえ、抗癌剤の副作用死を大騒ぎする日本人はおかしいと三浦さんは主張する。安全第一の風邪薬と、抗癌剤の副作用を同列に論じることは滑稽だ。
「危険を覚悟で、自分の癌に使いたい」
と言っても、日本の患者にはその権利がない。
米国では患者の自己決定権が尊重され、患者は治療研究の薬を競うように求める。その結果多くの患者が救われ、新薬開発も進む。
三浦さんが提出した「抗癌剤の早期承認を求める請願」は、昨年6月に国会で採択された。しかし法改正の動きはない。厚労省は、三浦さんに限って非環式レチノイドの使用を認めた。姑息だ。
日本で年間3万人が肝臓癌で死亡する。肝硬変の人々が声高に治療研究に参加したいと言えば、この数字は大きく変わるかもしれないのに。
拡張版 第2話 【肝細胞癌の治療法】