Web版 副作用のない抗癌剤治療(sample)
はじめに
癌の治療というと、まっ先に手術を連想します。どの病院で手術をうけようか、誰もが思案します。実際、手術で癌をすべて取り去ることができれば、癌はほぼ確実に治癒(癌が完全に治ること)します。しかし進行した癌になると、手術だけでは不十分です。手術ですべての癌細胞が取りきれるとは限らないからです。そこで、どうしても抗癌剤治療など、手術以外の治療も必要になってきます。
ところが、たとえば最近5年間で厚生省が新たに承認した抗癌剤を見てみますと、ファルモルビシン、スマンクス、カンプト、タキソテールなどがありますが、もし、これらの薬が何ひとつとして癌の患者に用意されていないとするならば充分な癌治療ができない場合もあるのです。というのは、これら新薬も含めて、進行した癌の治療では抗癌剤こそが大きな役割を果たしてくれるからです。
さて、そこで抗癌剤の使い方が問題になります。
「抗癌剤に副作用はつきもの」ということは、日本の社会では半ば神話化しています。しかし、副作用は何も抗癌剤に限ったことではありません。乱暴な使い方をすれば、すべての薬で起こりうることです。
ビールにも、アルコールという薬物が含まれます。ビールを乱暴に飲めば、「悪酔い」という副作用があらわれます。しかし、どんな飲み方が乱暴なのでしょうか。そこでたとえば、成人100人の全員にそれぞれビール1本を飲んでもらう実験を考えてみましょう。ビールを飲めば、結果はつぎの3種類に分かれるでしょう。
(1) 悪酔いして気分の悪くなる人
(2) 気持ちよく酔える人
(3) ほとんど気分の変わらない人
です。では、つぎに別の100人全員にビールを今度は3本飲んでもらうと、どうでしょうか。
(1) の悪酔いする人(副作用が強かった人)が先の100人の場合より増えるはずです。
(2) の気持ちよく酔える人(いい作用の出た人)の人数は増えるかもしれませんが、かえって減る場合もあるでしょう。
(3) の気分の変わらなかった人は減るはずです。
この100人ずつがビールを飲む実験は、アルコールの作用と副作用を示すひとつの医学的なデータになります。ところが、それでも実際にあなたが初めてビールを飲む場合には、このデータはほとんど役にたちません。それはアルコールでも抗癌剤でも、薬の効果は個人差が大きく、ひとりひとりで作用と副作用の現れ方が違ってくるからです。ビールを初めて飲むときとおなじように、薬は作用と副作用を確かめながら使うことが大切です。
「酒に対する強さ」は、その人がアルコールを分解する酵素をどのくらいからだのなかに持っているかで決まります。ところが抗癌剤では、おなじ種類の癌でありながら、なぜある人にはAという抗癌剤が有効で、別の人にはBという抗癌剤が有効なのかは、現在のところ、はっきりとわかっていません。近い将来、それぞれの癌の遺伝子分析でわかるようになると思いますが、それまでは、過去のデータに基づいて有効である可能性の高い抗癌剤を、さまざまな投与方法で、ひとつずつ確かめながら使用していくしかないのです。
私は、こうした抗癌剤の使い方をノンプロトコール・プロトコール(猫の目のようにくるくると抗癌剤の使い方を変えていく治療法)と名づけています。どの抗癌剤をどのくらいの量でどのくらいの時間で使えば、その人にもっともふさわしい治療ができるか、つまり副作用が少なく作用が大きいという成果を、ひとりひとりで確かめながら治療するのです。その意味で、私の患者さんは、ひとりとしておなじ治療を受けている人はいないといってもいいほど「さじ加減」を調整します。ひとりの患者さんでも、毎回のように治療法を変えていく場合もあります。その意味で、この本に書いた抗癌剤の使い方もほんの一例にすぎません。
しかし、微妙な「さじ加減」は医者に任せるしかありません。この本ではもっと一般的に、どんな癌にどんな抗癌剤が有効なのか、副作用を抑えるにはどのような方法があるのか、具体的に紹介していきましょう。また、夜寝ているあいだに抗癌剤治療をすることで抗癌剤の「効果を高める」と同時に「副作用を抑える」独特の治療「クロノテラピー」も紹介しましょう。
私が治療している患者さんたちの多くは、抗癌剤治療をしながらも副作用に苦しむことなく、快適に日常生活を送っておられます。仕事に打ち込み、趣味に興じ、精一杯に人生を謳歌されています。こうした姿は、「抗癌剤治療には強烈な副作用がつきもの」という「常識」が定着してしまっている日本では、驚くべき光景だと思います。
いずれにしても、副作用の少ない抗癌剤治療があるということ、そして、その治療が癌患者にとって大変な福音となっている事実を汲み取っていただけると思います。そして、こうした事実が、癌と戦っている人たちへの希望と勇気になれば、これ以上嬉しいことはありません。
Web版 外科医 平岩正樹 副作用のない抗癌剤治療 【 はじめに 】