【 抗がん剤治療、専門医の拡充を望む 】
2005年 9月 初旬
『幾十年、病を知らず、仕事に励み、六十路を前に、貴方はがんです』
『あと2年、我に余命を、告げる医者、神秘の生命、誰が分かるのか』
私は平成16年の正月明けに、がん戦争の最前線に突然、放り出されました。57歳と7ケ月の時です。脱サラし、自営業の立ち上げと同時でした。その後2年近く、がんと戦い治療に明け暮れています。
仕事大好き人間として健康に自信を持って過ごしてきましたので、癌については何一つ知らないまま、大腸がん(原発)の、肝臓両葉同時転移(9ケ)、を告げられました。平成16年は2度も肝臓の大手術をしました。
今年の春、肺にも転移しました。
手術の適応外となり、今は抗がん剤治療のみが頼りで、一日でもひと月でも長く生きたいです。抗がん剤治療の拙劣が私の生存期間を左右します。私と同じような症状でも1年以内の方も居れば、5年以上の方も居ると思います。生存年数に大きな違いが生じます。それは抗がん剤治療の専門医が近くに居るか居ないかの差です。
同じ保険制度の基で同じ保険料を払っても、医学の恩恵を享受する側には大きな格差が生じます。私の住んでいる県は人口300万人以上ですが、抗がん剤の専門医は居ません。他の県の方も同様に不便をなさっていると推察します。
がんの患者は130万人以上います。がんで亡くなる方は年間30万人以上です。考え易くするために100万人の患者が専門医による抗がん剤治療を必要としているとして、一人の専門医が100人の患者を診ることが出来るとして、1万人の専門医が必要です。
しかし、日本には抗がん剤治療の専門医は5〜60人、それも大都市に集中しています。専門医の恩恵を受けるのは、何か優越的な特権を持った、ほんの一部、一握りの患者です。残りの大部分の患者は本格的抗がん剤治療から見放されています。
経済的に日本は先進国と言いますが、がん治療に関しては後進国です。
大部分の患者は抗がん剤治療の拙劣とは懸け離れた理由、すなわち治療経過の過程で知り合いになった特定の医者に治療を受けざるをえません。
抗がん剤の治療は短期間、数日、数ケ月で終ることはなく、数年、あるいはもっと長期間になります。
ある高名な人が、
『抗がん剤の治療は一人一人違った用量、副作用の出現、重大事故の発生防止等、多くの高度な技術を要するので専門医がすべき』
と言っています。
患者の望みは多伎に渡り切実です。
『転院をしたい』
『抗がん剤の専門医の治療を受けたい』
『自分のがんに詳しい医者に合いたい』
『検査を丁寧に頻繁にしてほしい』
『タクシーで行ける近所の医者にしたい』
『副作用に強い医者は』
『実家の近くが良い』
『もっと真剣に話を聞いてくれる医者を』
望みを取り上げればもっともっと沢山あります。しかし患者の望みを叶える事は絶望的で期待できません。不承ぶしょう専門外の特定の医者の治療を受けているのが実情です。私たちは医者や病院を選ぶことは出来ません。
患者や家族を含めて、こんなに多くの人が望み切実に必要なのに、なぜ日本では抗がん剤の治療が不便なのでしょうか?なぜ日本には専門医が少ないのか?
答えは簡単です。
『抗がん剤治療の技術料はタダなので、医者も病院も治療を避けたい。人員も、設備も増やせない。』
単純な理由です。
私も『近所で専門医の治療を受けたい』と願っているひとりです。
現在の保険制度が続く限り患者は不便を強いられ、家族、友人との楽しい時間を長く続けることは出来ません。抗がん剤治療の専門医の拡充を望み、機会があれば発言をすることにしました。技術料を有料にし、抗がん剤治療の専門医が日本中、郵便局のある所、すべて専門医が居るようにするべきです。
発言し、理解を得るには、基礎となる知識が不可欠です。私は保険の知識も皆無です。
『医者の技術料は他にどんなものがあるのか?、その報酬金額はいくらか?』
『抗がん剤治療にはなぜ報酬金額が認められ無いのか?』
どなたか知っている方、教えてください。勉強し、発言し、抗がん剤治療専門医の拡充を図りましょう。
『信じます、生命の炎、懼れつつ、医学の進歩、患者の熱意』
ペン・ネーム 筑波 太郎